稲盛氏の逝去の報道を受けて、稲盛氏について述べさせていただいたのだが、やはり書ききれなかった。今月も稲盛氏について書かせていただきます。先月は稲盛氏の京セラ創業時の話を書きましたが、今回は第二電電(現KDDI)創業とJAL再建について述べます。

日本の通信料金は諸外国と比べてひどく割高だった。それを引き下げるべく自由化が決定された。電電公社(現NTT)が民営化され、同時に電気通信事業への新規参入も可能になったのだが、参入しようという企業がなかなか現れない。稲盛氏はベンチャー企業から身を起こしてきた京セラこそ、そのようなチャレンジにふさわしいのではないかと考え、参入を表明した。その折に「動機善なりや、私心なかりしか」と毎日自分に問いかけた話は有名である。第二電電は、国鉄系の日本テレコム、日本道路公団系の日本高速通信に比べて、規模が小さく歴史も浅いこともあり、泡沫扱いをされていた。しかし、第二電電は3社中トップの契約数を獲得し、トップを切って株式公開も果たしている。さらに、稲盛氏は単に遠距離通信のみではなく、携帯電話事業、ネット事業等、あたかもブドウの房のように、多くの通信事業を行うことにより大きく成長できるとわかっていたようである。さらには、数年先の遠距離電話、携帯電話等の通信料金まで予測しており、その金額はほぼ予測通りだったとのことである。「経営の神様」と呼ばれる所以である。

JALは8つの労働組合を抱え、赤字とリストラを繰り返していた。「誰がやっても立て直せない」とまで言われていたが、稲盛氏はわずか3人の腹心を引き連れて乗り込み、3年の間に、専門家が「実現不可能」と言っていた更生計画を完遂、過去最高の営業利益を出して、株式の再上場まで実現した。再建に際して中心に据えたのは、フィロソフィ教育である。稲盛氏にとってフィロソフィというのは「理念を曲げてまで生き延びても意味がない」というほど大切なものである。JALの管理職に、「人として正直に、ど真剣に生きることの素晴らしさ」を説き、指導者としての心構えを植え付け、同時にコスト意識を叩き込んだ。その結果、企業体質を大きく変えることができ、改革につながったのである。

稲盛氏は稀代の経営者であるが、それだけではない。今こそ「生き方」が問われている日本人にとって、再考しなければならない数々の哲学を説かれている。つまり「偉大なる思想家」でもあった。日本の将来を考えた場合、人口減少の中、地方創世、高付加価値の新産業創出、AI、DX人材の確保等が、喫緊の課題である。稲盛氏のように「利他の精神」のもと、一企業にとどまらず、地域、日本、さらには世界のために活躍してくれる優秀な人材の創出が切に望まれる。稲盛氏の人生から何を学び、何を新たに創出するか、この課題を考え続け、実行することが、稲盛氏に対する何よりの弔意になるのだろうと思う。