新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けた愛媛県の宿泊施設への客足が回復傾向にあるようである。道後地区では9月以降対前年同月比約8割、県内の主要施設も同7割の水準までになったとのことである。四国などを巡る周遊観光や近隣県からの修学旅行が需要を押し上げているようである。朗報である。一日でも早く100%以上の回復をと思う。

今回のコロナ禍のような厳しい状況下おいては、不思議と悪いことが重なって起こるものである。不安感で変な汗をかき、眠れなかったり、更には苦しみでのたうち回るような思いをされた方も少なくないと思う。よく企業は経営者の器以上にはならないと言われる。人間の器は持って生まれたものが大きいが、今回のような逆境や試練は自分の器を大きくする好機だとも言える。このコロナ禍を耐え抜き今後の発展につなげていっていただければと思う。

今、日経新聞に元KDDI社長の小野寺正氏が『私の履歴書』を執筆されていて、10月29日のフィロソフィという記事で稲盛和夫氏について述べてられている。私が経営者として曲がりなりにもやってこられたのは、KDDIの生みの親である稲盛和夫氏の薫陶を受けたからだと書かれて感謝、経営においてフィロソフィの必要性、重要性を述べられている。

その中で、あるエピソードを通じて稲盛氏の人間的魅力についても紹介されている。80年代に携帯電話会社の関西セルラーを作った際に、稲盛氏の子飼いである京セラの古参幹部が専務として送り込まれ「料金計算用のシステムは関西セルラーが独自に作る」といって稲盛氏の了解を取り付けてしまった。親会社のDDIとしては、各地のセルラー会社がバラバラにシステムを作るのは金と時間の無駄遣いであり、絶対反対と、血気盛んだった40歳前後の小野寺氏は稲盛氏に「専務を翻意させてほしい」と談じ込んだ。稲盛氏は言い分に耳を傾け「あなたの主張は正しいが、今度だけは大目に見てやってほしい」という。稲盛氏は京セラ創業時から苦楽を共にした古い仲間には非常に寛大で、時に「甘すぎる」と見えることもあった。この専務もその一人で、「彼が無理を言い出すのも、自分の接し方に問題があったからだ」と反省の弁を口にされ、「今後は事業本部に相談させる」と約束されたので、小野寺氏も引き下がったという話である。

人の話をよく聞き、自分が間違ったと思えば、相手が部下や若い人でも素直に謝罪する。30年以上前のあの場面を思い出すたびに、稲盛氏の人間としての大きさが胸に迫ってくると書かれている。改めて、稲盛氏の人間の大きさ、人間愛を感じさせられたエピソードである。