連日国会で、森友・加計問題が議論されている。日経新聞の調査によれば、加計学園の獣医学部新設を巡る問題で、自らの関与や指示を否定する安倍首相の説明に「納得できない」は74%だった。また森友学園の国有地売却をめぐる決裁文書改ざん問題でも安倍首相は自身や安倍昭恵夫人の売却交渉への関与を否定しているが、「首相に責任がある」が68%に達している。多くの国民が安倍首相の説明に疑念を持っているのは明らかである。
また、最近は、レスリング協会、日本大学のアメリカンフットボール部など、様々なスポーツ界においても、上に立つ者のパワハラまがいの行為が問題となっている。何故、責任ある立場の人が、嘘ではないかと思われることを平然と言えるのだろうと思ってしまう。自己保身をしているとしか見えない。
時を同じくして、NHKの大河ドラマで西郷隆盛を主人公とした「西郷(せご)どん」が放映されている。西郷隆盛と言えば、ご存じのように明治維新を成し遂げた偉人である。彼は非常に人望があり、大変魅力的な人だったようで、男も女も多くの人たちから慕われたようである。リーダーと呼ばれる人は、西郷隆盛のように、人から惚れられ「あの人のためなら」と言われるような人間性が必要であり、徳が高くなければならないのだと思う。
西郷隆盛は『南洲翁遺訓』の中で、リーダーとしての考え方、あるべき姿を語っている。遺訓には多くの名言があるが、遺訓の21番目には、西郷が座右の銘とした『敬天愛人』について述べられている。『道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己をもって終始せよ』とある。つまり、天を敬い天地自然に従い、誠の道を大切に守りながら、人々を分け隔てなく愛することが学問に努める目的であり、そのように敬天愛人と言う道を踏み行っていくには、自分自身の心を修養し「自分自身に打ち克つ」「自分自身を抑える」ことが求められると言っている。
つまりリーダーは正道を踏み、天地自然に恥じないようなことを実行していくべき人たちであり、少しも私心があってはならない。少なくともリーダーになる人は「無私」でありたいと思っている人でなければならないと述べている。それには当然、誠実、正直であり、嘘などついてはいけないということは言うまでもない。このような問題が起こっている今こそ、会社を率いる経営者はもちろんのこと、部下を持つ管理者、ひいては一個人としても、自分自身の問題として、身を引き締めていかなければならない時だと思う。