北朝鮮がミサイル発射実験を行ったことをきっかけに、アメリカが空母を日本海に展開するなど、にわかに地政学的リスクが高まってきている。 平和は一瞬にして壊れてしまうことを改めて感じさせられるこの頃である。
少し前までは、国有地売却に端を発したいわゆる「森友学園問題」が安倍総理夫妻の関与有無を巡り、連日ニュースに取り上げられていた。 この問題は真相が解明されないまま立ち消えになってしまうのか、気になるところである。ここで話題になったのが教育についてである。 森友学園では園児が教育勅語をそらんじることができて、それに感心し籠池氏を支持した人も多いようである。しかし何故いまさら教育勅語なのだろうか?と思ってしまう。
何故なら、日本には立派な教育基本法が制定されているからである。 その前文には、『我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家をさらに発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。』と書かれている。 素晴らしい考え方だと思う。教育基本法の教育の目的、理念とも至極当然なことが掲げられている。文科省はじめ政府はその理念をもっとアナウンスすればいいのである。
人生を意義あるもの、素晴らしいものにするためには、正義、公正、公平、努力、謙虚、正直、博愛などの言葉で表現されるプリミティブな倫理観、世界のどこでも通用する普遍的な考え方をベースにすることが大切である。 これは稲盛和夫氏がいつも言われることである。 稲盛氏はさらに「どのような考え方を選択するかによって、人生は大きく変わり、運命さえも180°変わってしまう」とも言われている。 アメリカをはじめ排他的なポピュリズムが台頭しきて、世界が混迷を深める今こそ考え方、理念を学ぶ教育が必要な時だと思う。
戦後教育での弊害は道徳教育の軽視であったといわれ、最近は道徳教育も復活されたようである。しかし、道徳科の評価では、特定の考え方を押し付けたり、入試で使用したりはしないと謳われている。これも大切な事である。