確定申告も一段落し、気を抜いたわけではないのだが、風邪をひいてしまって10日以上治らずに苦労している。念のためPCR検査を受けたが、陰性との診断で胸をなでおろしている。いつも春分の日に墓掃除をしていたのだが、遅れて先日(27日)掃除をしてきた。清掃の後はいつも般若心経を唱えている。両親もそらんじていたので私もそらんじることができるのだが、深い意味は解らずに般若心経を唱えていた。調べてみると、般若心経は大乗仏教の真髄が集約されており、存在には実体がないという「空」と、悟りとしての「般若」の2つの思想について説かれているようである。

観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是空 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無知亦無得 以無取得故 菩提薩垂 依般若波羅密多故 心無圭礙 無圭礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅密多故 得阿耨三藐三菩薩 故知般若波羅密多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅密多呪 即説呪日 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

以上300字ほどの短いお経だが、現代の言葉に訳すと次のようになる。観音菩薩は真理を悟る修行に努める中で、ある真実にたどり着いた。その真実とは私たちを構成するあらゆるものは「空」であること。そして、この気づきによって観音菩薩は全ての苦しみから解放されたのである。シャーリプトラ(舎利子)よ、形あるものは実体がないことと同じであり、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在する。そして形あるものは即ち実態無きものであり、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在する。シャーリプトラよ、この世のあらゆる物事は空なのであるから、生ずることなく滅することもなく、汚れることも汚れないこともなく、増えもせず減りもすることはない。心身ともにすべては空であり、実体は存在しない。つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、心といったものも存在しないのである。そして、これらの感覚が存在しないのであるから、これを受け取ることで働く意識や思考も存在しない。見て感じるということもないし、迷うことも迷わなくなることもない。また老いて死ぬこともないし、老いて死ぬことがなくなることもない。

紙面がないので途中になるが、難解だが、哲学的、普遍的であり、ある意味科学的でもあると思う。このような境地にはなれそうにもないが、すべては自分という自我があらゆるものを作り出しているのかもしれない。