8月24日に日本を代表する経営者の稲盛和夫氏が亡くなった。享年90歳。ご高齢でもあり、随分と痩せられたという話を聞いていて覚悟はしていたつもりだったが、やはり喪失感に襲われた。

稲盛氏は京セラやKDDIを一代で世界的な企業に成長させ、経営破綻した日本航空の再建を主導しわずか2年8カ月で再上場を果たした。また、若手経営者の勉強会「盛和塾」を開塾、海外も含め104塾15,000人が稲盛経営哲学を熱心に学んだ。日本ではもちろん、あの中国で民間企業経営者から熱烈な支持を受けており、文字通り“神”のごとき存在である。「アリババ」の創業者馬雲(ジャック・マー)氏や「ファーウェイ」創業者の任正非氏、「TikTok」を大ヒットさせた「バイトダンス」の創業者張一鳴氏、「ハイアール」創業者の張瑞敏氏など、中国を代表する世界的企業のトップの多くが深く信奉している。稲盛氏が中国で講演すると、何万人という企業経営者が詰めかけスタンディングオベーションで迎えられた。ジャック・マー氏が稲盛氏と対面した時、感激のあまり泣きながら握手を求めた逸話は有名である。稲盛経営哲学は中国の大地に根付き、薫陶を受けた企業経営者らが花を咲かせ、豊かな実りの時期に入っていると言える。大国が民主主義や自由主義を叫ぶより、稲盛氏の思想は、はるかに人々に訴えかけるものがあった。今後、中国との向き合い方の教訓にすべきだと思う。

稲盛氏の逸話は限りないが、京セラ創立時の話は秀逸である。稲盛氏が会社を辞める決心をしたとき、8人の部下たちもついていった。その中に上司の青山部長までいた。彼は「よし、何とか金を集めて会社を作ろう」と言って、京都大学時代の親友である宮木電機の西枝専務と交川常務に出資を頼んだ。交川氏は「お前、アホか。この稲盛君がどれほど優秀か知らんが、二十六、七の若者に何ができる」と言われたが、青山氏は「稲盛君の情熱は並外れている。必ず大成する」と説得した。稲盛氏も「将来きっとニューセラミックの時代が来ます」と必死に訴えた結果、宮木電機関係者を中心に資本金300万を出資してもらい「京都セラミック」(京セラ)が誕生した。しかしそれだけでは会社は立ち行かない。電気炉などの設備投資や運転資金などで1000万円が必要だった。銀行融資を受けるためになんと西枝専務が自宅を担保に入れてくれた。西枝氏は奥さんに「この家とられるかもしれんぞ」というと、奥さんは「男が男に惚れたのだから、私はかまいませんよ」と笑っておられたという。宮木社長も役員から出資を募った時「子会社にするのではない。稲盛という青年に賭けるのだからムダ金になるかもしれない」と話したそうである。彼らにそんなに信用されたとは、仕事ぶりや情熱もさることながら、稲盛和夫という一人の若者がどんな男だったか如実に語っている。稲盛氏は絶対的信頼と、類まれな魅力、そして英雄的資質をも持ち合わせていたのだと思う。