昨年の12月にNHKの歴史秘話ヒストリアで「天皇の先生になった男小泉信三」が放映された。小泉信三氏は、昭和24年に東宮御教育常時参与に就任し、終戦直後の苦難の時代、新しい皇室の在り方を模索し続け、美智子妃を迎えるなど象徴天皇制の基盤を作った人物として紹介された。同時に、小泉氏は先生役として、時には涙を流すほどの思いをもって皇太子(現在の天皇)に『忠恕』の精神、つまり自分の良心に忠実で、他人を思いやる心をご指導したとのことである。素晴らしい人格者であったようである。
私も小泉信三氏については、慶應義塾大学の塾長だった大先輩であることぐらいしか知識がなかったが、小泉氏には次のような顔があったようだ。
一つ目は学者としての顔で、慶応義塾大学教授として、デヴィット・リカードの経済学を講じ、自由主義経済の重要性を説き、共産主義・マルクス経済学に対して徹頭徹尾合理的な批判を加えた。
二つ目はスポーツの愛好家としての顔である。慶應義塾大学では塾長就任前は庭球部部長をつとめ、体育会の発展にも尽力した。「練習は不可能を可能にする」という有名な言葉を残している。また、当局の反対を押し切って、出陣学徒壮行早慶戦いわゆる最後の早慶戦を挙行し、戦地に行かざるを得ない学生に最後の思い出を残した。
そして三つ目が皇太子の家庭教師としての顔である。天皇陛下は小泉信三の教えを心に刻み込まれおり、好きな言葉として『忠恕』を上げられている。その精神をもって、日本各地を尋ねられ沢山の人々と多くの時間を過ごされ、象徴天皇としての役割を全うされようとしている。
天皇陛下は昨年の誕生日の記者会見で「私は成年皇族として人生の歩みを始めてほどなく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶とともに、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方の献身、真心をもって果たしてきたことを、心よりねぎらいたく思います。」と言葉を震わせながら述べられた。
私は、この言葉を聞いて、天皇陛下は全力で象徴天皇としての役目を果たされてきたのだと改めて感銘を受けた。このような方を象徴天皇として戴くことができたということを誇りに思うとともに、感謝をもって退位をお見送りしたいと思う。