先月100歳を過ぎても現役の医師を続け高齢者が活躍できる社会の在り方などに提言を続けてきた日野原重明医師が105歳で亡くなられた。日野原氏は日本で最初に人間ドックを開設、早くから予防医学の重要性を説き終末医療の普及にも尽力され、長年にわたって日本の医学の発展に貢献された人である。

長生きをされたので、さぞ健康には留意をされ規則正しい生活をされていたのではと思っていたのだが、その晩年の生活には驚かされた。日野原氏の100歳を超えてのスケジュールは2,3年先まで一杯という多忙な日々を送られていたようである。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に一度は徹夜をするという生活だったとのことである。さすがに徹夜は96歳からやめ、睡眠時間を5時間に増やされたが、命の続く限り現場に立ち続けるという信念を貫かれた。本当に日野原氏は自分の人生を生ききった方だと改めて感銘を受けた。

日野原氏を語るときに、有名な事件がよど号ハイジャック事件である。日野原氏は学会に出席するため福岡に向かう途中で、ハイジャック事件に遭遇し、人質となった。その際、死も覚悟したが、無事解放された。ハイジャック事件は内科医としての名声を求めるよりも「これからの人生は与えられたものだ、誰かのために使うべきだ」とその後の人生観を変えるきっかけになったと述べられている。

晩年はその信念に基づき、医師として現場に立ち続ける傍ら、全国各地の小学校で「いのちの授業」を実施された。そこで子供たちに「命とはなんだと思う?」と語りかけられ、「いのちとは私たちがもっている時間である。命があるということは使える時間があるということだよ。あなたたちは今、時間をほとんど自分のためだけに使っているが、大人になったらあなたたちがもっている時間(=いのち)を人のためにも使うようにしましょう」と話されていた。また、「なんといっても人が人に与える最高なものは心である。他者のための思いと行動に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分け合ったかによって真の人間としての証がなされる」などと話されて、多くの名言も残された。

日野原氏の生きざまは「人生においては地位や名声など何を得たかではなく、いかに生きたかが大切なのだ」と改めて教えていただいた気がする。心よりご冥福をお祈りいたします。