先日、ノーベル物理学賞に赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏の受賞が発表され、久しぶりの明るいニュースで日本中が沸き立つような感じだった。 ノーベル財団は高輝度、低消費電力白色光源を可能とした青色発光ダイオード(青色LED)の開発と製品化への貢献を高く評価し受賞理由とした。 開発から20年が過ぎ現在ではあらゆるところで青色LEDが採用され、まさに光源革命を起こしたといっても過言ではない。

今回の受賞者の一人である中村修二氏は、2001年に開発当時在職した日亜化学工業を特許権帰属と対価等に関して提訴し、一躍時の人になった。 その年の日本経済新聞の正月号の一面に『世界的発明をしながら日本を捨てた男』というタイトルで記事になったのを今も鮮明に覚えている。

中村氏は今も「開発の成果物は会社ではなく個人に帰属するべきである」と言っているが、 私は開発費や給料を会社が支出している以上、やはり成果は会社に帰属すべきものだと思う。 彼はそういいながらも、一番感謝している人に日亜化学の創業社長である小川信雄氏をあげ 『彼の研究支援がなかったらこのノーベル賞はなかった』といって感謝の気持ちを述べている。 しかしその一方で『研究の原動力はアンガー(怒り)だった』とも述べ今も複雑な心情があるようである。

しかし、中村氏の偉大なところは、四国の片田舎の高校(大洲高校)から徳島大学を経て徳島の日亜化学工業に就職し、 四国から出たことがなかった人間が、ノーベル賞と言うとんでもない賞を受賞したことである。 彼はどんな環境でもどんな田舎でも夢と熱意があれば成功できることを体現したと言える。

ただ中村氏の考えは研究者や技術者としての立場からの発想であり、経営者としての発想ではない。 経営者的発想を持てる従業員をいかに多く作れるかが良い会社の条件だし、大切なことだと思う。 中村氏は実は京セラを受験し合格している。 その時の面接官があの稲盛和夫氏だったということである。 家族の養育の関係から地元の日亜化学に就職したようであるが、京セラに就職し稲盛氏の薫陶を受けていればどうなっていたか興味があるところである。

実を言うと、私と中村氏とは高校時代の同級生である。 彼の今回の受賞は大変うれしいし、誇らしくもある。 彼が今後、受賞を糧にさらに研鑽をつみ素晴らしい研究成果を上げ、世の中に一層の貢献をされることを期待してやまない。