お盆を過ぎても連日猛暑が続いていたが、今度は「非常に強い台風10号」が九州から四国を縦断するルートで進んでいて、現在でも各地に被害をもたらしている。これ以上被害が広がらないようにと思う。

 

先月、当事務所が使用しているソフトメーカー(ミロク情報サービス)のユーザー会であるミロク会計人会の四国大会が開催された。その基調講演を坂村真民記念館の西澤孝一館長にお願いした。

坂村真民は仏教詩人であり、「癒しの詩人」と言われている。1909年に熊本県玉名郡に生まれ、8歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支える。熊本で教員となり、その後朝鮮に渡って師範学校の教師になる。終戦後引き揚げて愛媛県に移住、高校の教員として国語を教え、65歳で退職。58歳の時、砥部町に定住し、2006年97歳で砥部町で永眠。一遍上人を敬愛し、毎朝午前0時に起床し、午前3時半頃に重信川のほとりで地球に祈りをささげる日課であった。詩は解りやすいものが多く、小学生から財界人にまで愛されている。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は日本各地だけでなく、外国にまで建てられている。森信三は早くからその才覚を見抜き、後世まで残る逸材と評した。1980年には文部省中学校教育課「道徳指導要領三」に、詩「二度とない人生だから」が採録され、多くの教科書に掲載されるようになった。

 

西澤氏は真民の三女である真美子さんと結婚され、真民と同居され詩作に取り組む姿を目の当たりにされた方である。さらに真民が詩作のために作成していた796冊にも及ぶ膨大な思索ノート「詩記」をすべて読み込まれた方である。講演では真民の生活の様子や、何歳の時に、どんな境遇で詩作されたかなど知ることができ、興味深く聞かせて頂いた。静かな口調で真民詩を朗読され、真民に対する敬慕の念も感じられ心に響く講演だった。

 

真民の詩は、基本的にそのすべてが「人間としていかに生きるか」という問いを、自分自身に問いかけ、その答えを「詩」として書き残したものである。生きる哀しさ、喜び、苦しさを素直な言葉で書き綴った「真民詩」は多くの人にそのまま「自分の気持ち」として受け止められ、共感を得ている。また、貧しい生活の中で喜びを見つけ、家族を大切に、慎ましく生きながらも、毎日修行僧のような生活をして、自分を厳しく鍛えることにより「純真でまっすぐな生き方」を貫き通した。真民の代表的な2作を別紙に書かせていただいたので一読いただければと思います。人間は一人一人がそれぞれかけがえのない個性を持って生まれている。各々がどんな小さな花でもいいので、その花を咲かせることができれば、それこそが素晴らしい人生である。その一助になることが真民の切なる願いだったのだと思う。

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真民の代表的な2作