9月8日からNHKで「坂の上の雲」が再放送されている。「まことに小さな国が開花期をむかえようとしていた」という冒頭のナレーションが印象深い。これは明治維新を経た激動の時代に、坂の上の一朶の雲をつかもうとする青年たちの物語である。目覚めたばかりの国のために、自らの人生をかけようとした青年たちの生きざまを描いている。この青年たちこそ、松山が生んだ郷土の偉人、秋山好古、秋山真之、正岡子規である。

秋山好古

日露戦争で世界最強と言われていたコサック騎兵を相手に戦い、日本の勝利に大きく貢献した。「騎兵の父」と呼ばれている。一線を退いた後は松山北高校の校長を勤め、後進の育成に努め満71歳で死去。

秋山真之

日露戦争では、連合艦隊の作戦参謀となり、日本海海戦でのバルチック艦隊撃破に大きく貢献した。その時の電文「天気晴朗なれど波高し」は有名である。連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、日本海軍の戦術を考え抜き、作り上げた真之を「智謀湧くが如し」と称賛した。49歳で腹膜炎により死去。

正岡子規

「写生」という句作を編み出した俳人、肺結核や脊椎カリエスという難病と闘いながら、最晩年まで俳句・短歌・文章などの各ジャンルにわたる文学の革新に取り組み、日本の近代文学史上大きな足跡を残した。34歳で病気のため死去。

 

分野は違えど、日本の近代化に大きく貢献した人物たちである。その後日本は富国強兵を成し遂げ列強の仲間入りを果たすのだが、ご存じのように第二次世界大戦で敗北し、日本全土が焦土と化した。それでも日本は不死鳥のごとく高度成長を成し遂げ、一時はジャパンアズナンバーワンとも呼ばれた。

 

しかし、先日2023年の国民一人当たりのGDPが米ドル換算で前年比0.8%減の3万3849ドルでOECD加盟38ヶ国中22位と発表された。順位こそ前年と同じだが、比較できる1980年以降で最も低く、21位の韓国を下回った。最近の日本の低落は著しい。原因は多々あるが、人口減少が大きな要因である。愛媛県においても人口減少が進み人口減少の先進県の一つであり、厳しい状況である。それでも「坂の上の雲」の中で、高い志をもって人生を精いっぱい生きていく3人の生き様を見ていると、志がある限り大丈夫だと勇気をもらえる。

今年も皆様には本当にお世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください