先月、年収の壁123万円の詳細について述べさせていただいた。自公政権は国民民主党に、課税最低限を160万円に引き上げる案を提案したとの報道がなされた。ただし所得制限を設けて、年収上限を850万円とし、160万円の非課税枠は年収200万円以下の方のみとし、年収に応じて850万円まで非課税を低減していく措置とのことである。当然国民民主党は賛成できないとした。しかし、高校無償化で合意した日本維新の会は予算案と合わせて税制関連法案にも賛成する見通しなので、与党案が成立するのではないかと思う。政治の世界では、「今までの態度をすぐ変えて、主義も思想も捨ててしまう」ということはよく見られる。私たち国民は、政治家の方々が、どんな理念を持ち、いかに真摯に政治に取り組んでいるのかをしっかり観察し、見極めなければならないと思う。
態度をすぐ変えてしまうような人を『君子は豹変す』と称して悪い意味で使っている人に時々出会うことがあるが、実は間違った使い方である。本来の意味は「徳の高い立派な人物は、過ちに気が付けば即座にそれを改め正しい道に戻ることができる」つまり、人が面目を一新することをたたえる文言なのである。直木賞作家の五木寛之氏さえも、最近まで間違った解釈をしていたと書かれていたので、多くの人が誤用されているのかもしれない。
先日の日経新聞に高名な投資家であるウォーレン・バフェット氏の記事があった。「2024年の株主への手紙は、誤りについて多くのスペースを割いている。誤りに向き合う誠実な経営の大切さを述べている。誤りはどんな企業でも起きる。重要なのはその後である。罪は間違いの修正を先送りすること。指をくわえていても問題は消えない。どんなに不快でも行動を起こす必要がある。誤りを隠さず共有するようなモラルのある誠実な姿勢こそ、長期の企業価値を決める」と述べられている。そういう経営者はまさに「君子は豹変す」である。
私は以前から『君子は豹変できる』と解釈していた。本来の真理に気づいたときに自分をガラッと変えることができる人が君子なのだと。稲盛和夫氏も「同じ講義を聞くにしても漫然と聞くか、その中で強烈な印象を受けて、自分でも驚くほどに衝撃的な受け取り方をするかは、話し手とは無関係で、受け取る側が自分でエネルギーを出して受け止めることができるかどうかである。そういう受け止め方ができれば、自分の人生はガラッと変わる。立派な人が立派なことを言ったから変わったのではなく、変わるべくして自分が変わったという風でなければ嘘だと思う」と述べられている。自分も少しでも君子に近づけるよう切磋琢磨しなければならないが、多くの経営者や、特に政治家の方々には是非「君子に豹変」していただきたい。