愛媛県のコロナウィルスの新規感染者数はなかなか減少しないが、全国では数百人に減少し落ち着きを取り戻しつつある。そんな中、衆議院選挙の投票が今日(31日)行われている。自民党が単独過半数を獲得できそうであるとのことだが、どうなるだろうか?

先日NHKの番組で、二宮尊徳の特集をしていた。二宮尊徳は比較的裕福な農家の長男として誕生したが、度重なる水害により田畑をすべて失い、両親は心身疲労により相次いで死去、一家離散という事態に陥った。尊徳は叔父の家に預けられ苦労したが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮した。作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫、毎年その収入を増やし田畑を買い戻し、成人後まもなく家の再興を果たした。

その後、小田原藩の家老服部家の再建を依頼され、倹約と借入金の運用により見事財政の立て直しを成功させた。この時に「五常講」という金融互助制度(信用組合のはしり)を考案している。尊徳はこれを契機に財政再建・農村復興の仕事に邁進し、70歳でその生涯を終えるまで、その再建にかかわった地域は600村に達したと言われている。尊徳は経世家、農政家であり、同時に優れた思想家でもある。渋沢栄一、安田善次郎、豊田佐吉といった明治の財界人や松下幸之助、土光敏夫、稲盛和夫といった昭和を代表する経営者たちにも多大な影響を与えたと言われている。

尊徳は色々な再建策を考え出しているが、服部家の再建時には、まず徹底的に倹約をした。服部家は体面を保つために身分不相応な支出をしていた。最も悪いお金の使い方である。見栄のため、便利だから、必要だからと言ってお金を使う。これは全て駄目である。お金の使い方に計画性がないからである。入ってくるお金が限られているのだからその範囲でしかお金は使えない。理屈は単純である。その結果、5年間で、千両もの負債を償却し、その上余剰金300両を作ったが、自らは一銭も報酬を受けとらなかったという。

晩年には幕臣にまで取り立てられたが、江戸後期の幕府は官僚制度がはびこり、尊徳の提案をことごとく採用しなかった。武士が長い幕藩体制の中、劣化してしまっていたようである。一種の飼い殺しである。ようやく最後に日光神領の立て直しが認められて、奔走していたが、志し半ばで没することとなった。

現在の日本も世界から後れを取り始め、劣化が言われ始めている。本日の選挙の結果、日本の政権を担うことになられる政治家はじめ、官僚の方たちも、しっかりと進言を受け止める度量を持ち、是非、良い日本を作っていただきたいものである。