先日、安倍総理が臨時国会の所信表明演説で長時間労働の是正、同一労働同一賃金の実現をすると表明された。 「働き方改革実現会議」が組織され、外国人労働者の受け入れや長時間労働の是正等を検討していくようである。 子育て、介護など多様なライフスタイルと仕事を両立させるためには長時間労働の慣行を断ち切ることが必要だと演説された。

「長時間時間労働は悪しき慣行」だという考え方であるが、果たしてそうだろうか?  日本が先進国として成長してきた原動力は、なんといっても日本人の勤勉性に依るところが大きいと思う。 「一律に労働時間を短縮してはたして日本がもつのだろうか?資源もなく、国土も狭い日本が世界に伍していけるのだろうか? 安倍総理は演説の中で世界一になると何度も言われたが、そんなに簡単に世界一になれるのだろうか?」と私は違和感や不安を覚えてしまう。

仏政府は今春、企業の業績が悪化した場合に従業員を解雇しやすくしたり、労使で合意すれば週35時間労働制を46時間に延長する法案をまとめた。 ドイツは国の給付による手厚い保護を改め、労働者の就労意欲を高める改革を進めて、自立した働き手を増やしてきた。 このような諸外国の政策を知るにつけ本当に長時間労働の廃止や同一労働同一賃金だけを目標にしていいものだろうか?目の前の軋轢を避ける優しさだけでは国力は必ず低下してしまうと思う。

そもそも働くということはどういうことなのであろうか? キリスト教では労働は罰であるという「労働懲罰説」の考え方であり、西洋では「まず余暇ありき」でそのための労働であるという考え方が多いようだ。 それに対して仏教では、労働と言うのは修行であり美徳であるとされており、働くことの意義を人々に解いている。

京セラの稲盛和夫氏も「働くことは万病に効く薬であらゆる試練を克服し、人生を好転させていくことができる、妙薬だ」と言われている。 「今の自分の仕事に、もっと前向きに、できれば無我夢中になるまで打ち込んでみてください。 そうすれば必ず、苦難や挫折を克服することができるばかりか、想像もしなかったような、新しい未来が開けるはずです」とも言われています。 当然、休みも取れないような労働環境は問題だが、たった一度の人生を、 「余暇を楽しむために仕事をするのか、仕事そのものに意義をみとめ仕事に打ち込むのか」等、色々な考え方があると思う。 今回の働き方改革は、仕事について改めてその意義や目的について考えてみる良い機会だと思う。